主語が大きいだけが問題ではない 〜多様性時代の効果的なソーシャルコミュニケーションとは 〜

述語の選び方も大事です
松浦シゲキ 2024.08.19
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コミュニケーションプランナーの松浦シゲキです。

「主語が大きい」という表現、皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。特にインターネット上のコミュニケーションにおいて、この言葉はしばしば批判の対象となっています。しかし、実際のところ「主語が大きい」とはどういう状態を指すのでしょうか。そして、なぜこの表現が問題視されるようになったのでしょうか。

背景には、現代のソーシャルコミュニケーション環境の変化があります。ソーシャルメディアの普及により、多様な意見や背景を持つ人々がかつてない規模で直接的にコミュニケーションを取れるようになりました。その結果、一般化された表現がより敏感に受け止められ、批判の対象となりやすくなっているのです。

しかし、ここで注目すべきは、「主語が大きい」表現自体が常に問題なのではないという点です。例えば、「日本の食事は最高だ」というポストは比較的受け入れられやすいのに対し、「日本のマナーは最悪だ」というポストは炎上しやすいといえるでしょう。つまり、主語の大きさだけでなく、その内容や文脈も重要な要素なのです。

また、学問の領域では個別の事象から普遍的な法則を導き出すことがあるように、「主語が大きい」表現にも意義がある場面があります。大きな理想を語ることが時に社会を動かす原動力になることもあるでしょう。

今回のニュースレターでは、「主語が大きい」表現をめぐる問題を多角的に検討し、現代のソーシャルコミュニケーション環境において効果的に自己表現するための方策を探ります。同時に、メディアを運営する立場から、多様な受け手とどのように向き合い、建設的な対話の場を提供していくべきかについても考えます。

「主語が大きい」表現の功罪を理解し、適切に使いこなすことは、現代のコミュニケーション環境を生き抜くための重要なスキルの一つです。この記事を通じて、皆さまがより豊かで建設的なコミュニケーションを実現するためのヒントを得ていただければ幸いです。

「主語が大きい」表現の特徴と背景

「主語が大きい」表現とは、個人の経験や限られた観察に基づいた意見を、あたかも普遍的な事実であるかのように一般化して述べることです。言い換えれば、「私は、〇〇は△△だと思う」というべきところを「〇〇は△△だ」と断定的に述べてしまうことです。

具体例を挙げてみましょう。

  • 「日本人は几帳面だ」

  • 「女性は買い物が好きだ」

  • 「若者はコミュニケーション能力が低い」

  • 「男性の匂いが不衛生すぎる」

これらの文章は、一見すると断定的で力強く聞こえるかもしれません。しかし、実際には多様な個人の集合体である「日本人」「女性」「若者」「男性」を一括りにしてしまっています。この種の主語の大きさは、多様性を無視し、ステレオタイプを助長する危険性をはらんでいるのです。

では、なぜ人々は「主語が大きい」表現を使ってしまうのでしょうか。その背景には、以下のような要因があると考えられます。

単純化への欲求

複雑な現実を理解しやすい形に単純化したいという人間の本能的な欲求があります。「すべての〇〇は△△だ」と考えるほうが、「一部の〇〇は△△だが、そうでない場合もある」と考えるよりも認知的な負荷が低いのです。これは認知心理学者にしてノーベル経済学賞受賞のダニエル・カーネマンの著書「ファスト&スロー」の中にある、「速い思考」「遅い思考」に該当します。カーネマンによれば、人間の思考には速くて直感的な「システム1(速い思考)」と、遅くて分析的な「システム2(遅い思考)」があり、単純化された思考はシステム1に属します。システム1は認知的負荷が少なく、日常的な判断や決定に頻繁に使用されるのです。

自信の表現

自分の意見に自信があることを示したい、あるいは自信がないことを隠したいという心理が働きます。「私は〇〇だと思う」より「〇〇は△△だ」のほうが、より確信に満ちた印象を与えられます。

インパクトの追求

特にソーシャルメディア上では、注目を集めるために刺激的な表現を使いたくなる傾向があります。主語を大きくすることで、より多くの人の関心を引きつけやすくなるのです。批判的なリアクションであっても、とにかくインプレッションを稼ぎたいという考えもあるでしょう。

経験の一般化

自分の限られた経験や観察を、無意識のうちに普遍的なものとして捉えてしまうことがあります。これは認知バイアスの一種で、誰しもが陥りやすい思考の罠です。私自身、メディア業界での経験を一般化して語ってしまうことがあり、常に自戒しています。

集団への帰属意識

「私たち〇〇は」というように、自分が属する(と考える)集団の代表として発言することで、自己のアイデンティティを強化しようとする心理が働きます。「メディア業界の人間ならば…」という表現は、私も気をつけるべきポイントだと認識しています。

***

このように、主語の大きな表現を使う理由は様々です。しかし、ここで重要なのは「主語が大きい」表現を使うことのデメリットとリスクです。特に現代のソーシャルコミュニケーションにおいては、こうした表現が思わぬ炎上を招く可能性があります。

「主語が大きい」表現は、時として意図せぬ形で人々を傷つけたり、排除したりすることがあります。例えば、「若者はSNSばかりやっている」という表現は、SNSを使わない若者の存在を無視しています。こうした一般化は、多様性が尊重される現代社会において、個人の多様性や複雑さを軽視し、社会の分断を助長する危険性もあります。

重要なのは、「主語が大きい」表現を使う際に、その影響力と責任を十分に認識することです。自分の発言が多様な背景を持つ人々にどのように受け止められるか、常に意識する必要があります。また、必要に応じて「私の経験では」「一般的に」といった限定的な表現を用いることで、一般化のリスクを軽減することもできるでしょう。

現代のソーシャルコミュニケーションの特徴

その上で知るべきは、現代のソーシャルコミュニケーションの特徴です。これは、「主語が大きい」ことと密接に関わっています。

即時性と拡散性

ソーシャルメディアでは、情報が瞬時に広範囲に拡散されます。同時に、ユーザーからのフィードバックも即座に行われ、議論が加熱しやすい環境が生まれています。この特性により、「主語が大きい」表現はより大きな影響力を持つ一方で、即座に多くの批判にさらされるリスクも高まっています。

コンテキストの分断

Vol.9 「大衆の気持ちをハックするシステムに未来はない」で言及した、短尺のテキストや動画などの「スナックコンテンツ」の台頭により、情報が本来の文脈から切り離されて伝播されやすくなりました。この環境下では、「主語が大きい」表現がさらに誤解を招きやすく、本来の意図とは異なる解釈をされる可能性が高まっています。

多様性の可視化と衝突

ソーシャルメディアは多様な意見や経験を可視化する一方で、異なる背景を持つ人々の直接的な対話を可能にしました。これにより、「主語が大きい」表現の問題点がより顕在化し、同時に意見の衝突や対立も増加しています。

フィルターバブルの形成

ソーシャルメディアのアルゴリズムは、ユーザーの興味関心に基づいて情報を選別して提示する傾向があります。これにより、ユーザーは自分の価値観に合致する意見のみに触れやすくなり、「主語が大きい」表現が批判されずに受け入れられてしまう可能性があります。この「エコーチェンバー現象」により、ソーシャルメディアへの投稿者は自分の発言の問題点に気づきにくくなり、より大胆な一般化や断定的な表現を使用するリスクが高まります。結果として、多様な視点や批判的思考が失われ、「ありかなしか」の単純な議論によって社会の分断を深める危険性があるのです。

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以上のような特徴を持つ現代のソーシャルコミュニケーション環境において、「主語が大きい」表現はより慎重に扱う必要があります。同時に、自分の発言が思わぬ文脈で解釈される可能性を常に意識し、柔軟に対応する姿勢が求められるのです。

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続きは、2631文字あります。
  • 炎上を避けるためのコミュニケーション戦略
  • 主語が大きい自体が問題なわけではない

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