大衆の気持ちをハックするシステムに未来はない

そして「受け手」もアップデートする必要があります
松浦シゲキ 2024.07.26
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コミュニケーションプランナーの松浦シゲキです。

私は4年前、「百田尚樹現象は自分の話でもあったという」というタイトルで「ルポ 百田尚樹現象」を読んだ際の感想をnoteに書きました。その時、私は自分自身が百田氏と同じ立場に立つ当事者であると気づき、衝撃を受けました。簡単にまとめると

  • 「大衆の気持ちをハックしてマネタイズする」という手法において、私と百田氏は類似した立場にあった。ユーザーファーストを貫き、大衆に受けるものを提供するという点で、メディアにおける私のコミュニケーション手段は重なっていた

  • 「権威という敵をわかりやすく作り、反権威=大衆という味方を引き込む」という戦略も、私には身に覚えがあった。エリートではないという自覚から、私もまた「反権威」の立場に立っていたし、その立ち位置からのコミュニケーション戦略を立てていた

  • しかし同時に、この「反権威」の姿勢が「権威を面白おかしく茶化して今を楽しむ」だけのビジョンに陥っていることへの危惧も感じた

  • そして、「みんなで幸せになろうよ」という私の根本的な信念と、この現象がもたらす社会の分断との間に、大きな矛盾を感じた

  • だからこそ、未来へのビジョンの大切さが必要

この4年前の気づきは、その後の私のコミュニケーションプランナーとしての活動に大きな影響を与え、現在に至るまで私の思考の基礎となっています。ただ、そこからさらにデジタル上のコミュニケーションにおける状況は複雑化し、情報の分断や社会の分極化といった課題がより顕著になってきています。

「受け手」の情報リテラシーがより一層重要になる中、「サーチコミュニケーション」においては、検索結果が「受け手」ごとに違う状況が加速し、ユーザーより個人に最適化された情報を手に入れられるようになりました。これは利便性の向上をもたらす一方で、多様な視点に触れる機会を減少させる可能性も秘めています。その上で、「ソーシャルコミュニケーション」においても、特に「知縁」の拡大は顕著です。共通の興味や関心を持つ人々が地理的制約を超えてフォローフォロワーの強い繋がりなしに繋がりやすくなってる状況自体はいいのですが、一方で、「エコーチェンバー効果」や「フィルターバブル」といった現象が顕著になっています。これらは、自分の意見や信念に合致する情報のみを取り入れ、反対の意見を排除してしまう傾向を助長し、社会の分断をさらに深めています。

このような環境下で、インパクト重視の断片的なメッセージはより容易に拡散され、時に扇動的な形で「受け手」の心に響くようになっています。しかし同時に、このような風潮に対する懸念や批判的な声も高まっており、より建設的で包括的なコミュニケーションのあり方が模索されていると私は感じます。

加速する「スナックコンテンツ」によるコミュニケーションの実態

近年、TikTokやYouTubeショートに代表される15秒から30秒程度の短尺動画、そして、そもそも旧Twitterの140文字ポスト自体、私はこれらを「スナックコンテンツ」と呼んでいるのですが、この「スナックコンテンツ」が爆発的に普及しています。これらのコンテンツは、まさに軽食(スナック)のように手軽に消費でき、短時間で強烈なインパクトを与えることができます。この「スナックコンテンツ」の台頭は、コミュニケーションの場にも大きな変化をもたらしています。

しかし、このような「スナックコンテンツ」主体のコミュニケーションには課題も存在します。短時間で強いインパクトを与える一方で、詳細や複雑な問題に対する深い理解を促すことは難しいのです。まさにコンテクストが分解されて、コンテンツが一人歩きしてしまいます。また、エンターテイメント性が重視されるあまり、本質が軽視される危険性もあります。

そもそも「スナックコンテンツ」自体が新しい概念ではありません。その昔、小泉劇場というのがありました。

2001年から2006年にかけて首相を務めた小泉純一郎氏の政治手法は、まさに「スナックコンテンツ」の先駆けと言えるでしょう。「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」といった簡潔で印象的なフレーズは、短時間で強烈なインパクトを与えるものでした。

小泉氏は当時のメディア、特にテレビを巧みに活用し、複雑な政治課題を単純化して国民に直接語りかけました。これは、現代のSNSを通じた政治家のコミュニケーション手法と本質的に同じです。常にソーシャルメディア(私からするとテレビもSNSも井戸端会議のネタを提供する意味で一緒です)向け話題を提供し続け、人々の注目を集め続けた点も、現代の「バイラルコンテンツ」と共通しています。

ただし、小泉劇場と現代の「スナックコンテンツ」には重要な違いもあります。伝え手たるプラットフォームの違い、双方向性の有無、情報の寿命、拡散のスピードと範囲など、テクノロジーの進化により大きく変化した点も多々あります。

小泉劇場から約20年、コミュニケーションの舞台たるソーシャルメディアはテレビからSNSへと大きく変化しました。その変化を象徴するのが、2024年の東京都知事選における石丸伸二氏のコミュニケーション戦略です。

石丸氏は、小泉氏のような強烈な個性と印象的なフレーズという基本を踏襲しつつ、現代のオンラインプラットフォームを最大限に活用しました。「実質ゼロ円都知事」というキャッチフレーズは、小泉氏の「改革なくして成長なし」を彷彿とさせる簡潔さと力強さを持っています。

しかし、石丸氏の戦略が小泉劇場と大きく異なるのは、その発信方法と双方向性にあります。石丸氏は、TikTokやYouTubeショートなどのプラットフォームを駆使し、15秒から30秒程度の「スナックコンテンツ」を連続的に発信しました。しかも、これはオンラインに限りません。オフラインの街頭演説でも同様のコンテンツを発信し続けたのです。そしてその再拡散を促しました。

彼の参謀であった藤川氏のインタビューによれば、「政治の現場を知る人たちからは「中身がない」と批判ばっかりだった。だが、彼はそれを含めてわかってやっている」とあります。この現象は、現代のメディア環境における課題を浮き彫りにしています。すなわち、複雑な政策や詳細な説明よりも、短く印象的なメッセージの方が注目を集めやすく、結果として議論が単純化されるのです。

石丸氏の事例は、現代の「スナックコンテンツ」を活用したコミュニケーションの可能性と課題を明確に示しています。小泉劇場から続く「わかりやすさ」と「インパクト」の追求は、デジタル時代においてさらに加速し、その影響力を増しています。 

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続きは、2583文字あります。
  • 「大衆の気持ちをハック」するシステムの問題点
  • 受け手の情報リテラシー:作り手のブランドコミュニケーションを見極める

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