真の意味で『コミュニケーションについて考えられた』コンテンツとはどんなものか
コミュニケーションプランナーの松浦シゲキです。
まずはメディア・コミュニケーション・インサイトのスタート回、読み始めていただきありがとうございます。最初なので、なぜこのタイトルにしたのか、から始めたいと思います。
「伝える」ことを前提に「作る」
自分のキャリアを振り返ると、3度のパブリッシャー経験、そして3度のアグリゲーター経験がとても大きいです。ただ、実は情報・コンテンツを「作る」ところはほぼやっておらず、一貫して「伝える」ところばかりやってきました。
結局伝わらなければ、いくら作ったところで、ユーザーに受け止めてもらえないんですね。
ただ、私がいざメディアの現場に入ったりイベントに参加したりすると、どうしても「作る」視点が強いことが多い。
どう作ればいいか、その手段として「伝える」話は出てくるが、具体的な筋道は見えず、結局「作る」話に着地してしまう。
もちろん「作る」ことは大事なんですけど、情報やコンテンツを欲している人の目線を十分に想定し、取り入れられていると本当に言えますか?
メディアコンサルタントとして媒体運営の中に入る時は、毎回その問いから始めるようにしています。
で、「伝える」ってどういうことでしょう。この言葉では具体的に分かりにくいですよね(苦笑)。
あとは、伝える相手が不在となっている問題もあります。「それ、誰のために作っているんですか」ということも往々にしてあります。
そこで、情報がメディアからエンドユーザーに届くまでの流れと、コンテンツが作られ、広まり、そして受け取られるまでの各役割を、自分は「受け手」「伝え手」「作り手」と、これらをつなぐ「コミュニケーション」という言い方で整理するようにしました。
これが私のフレームワークの基礎となっています。
インターネット以前も「伝え手」とコミュニケーションがあった
インターネット登場前は、いわゆる「4マス」は作り手と伝え手がほぼ一体化していました。
たとえばテレビ局であれば、「作り手」としてのテレビ局と、「伝え手」としての放送波受像機。新聞であれば「作り手」としての新聞社と、「伝え手」としての販売網。
インターネットがなかった時代は、「伝え手」が持つ接触面としての在庫、時間や表示面積に限りはありましたが、作れば自動的に伝わっていました。
しかし、インターネットの登場によって、まず「伝え手」と「作り手」が分離しました。「伝え手」としてのインターネットは無限の在庫を持ちます。
次に、「作り手」が民主化しました。ブログ、YouTuber、ポッドキャスターなど、誰でも発信できるようになり、プラットフォーマーの登場でさらに伝えるハードルは下がりました。
ビジネスにおいては、「伝え手」が情報流通を担うことで、その面に対する広告、集積場所としての課金が機能するようになり、「作り手」は、もともとそうであったように、製作費ビジネスに収斂していきます。
このような変化はあったものの、インターネット登場以前にだって「伝え手」がいて、そこを経由しないと「作り手」のコンテンツは届くことがなかったのです。
一方で「受け手」の側にも、いままでは受動で受け取っていた情報を、能動で気軽に探せるようになるという変化がありました。情報を「受け手」にパーソナライズできるようになった瞬間、「受け手」の多様化すらも可視化されるようになったのです。
そして、「受け手」と「伝え手」の間にあるのが、コミュニケーションです。
そこには以下のような種類があると自分は考えています。
* ブランドコミュニケーション
* 受け手の課題解決における純粋想起相手となる
* サーチコミュニケーション
* 受け手が能動的に情報を取得する
* ソーシャルコミュニケーション
* 受け手が受動的に情報を取得する
このうち、能動/受動で切り替わるサーチコミュニケーションとソーシャルコミュニケーションの基本的な考えを述べます。